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信仰体験談

イエス・キリストとの出逢い  

 

「生きる希望」

私は33歳の時に、まだ幼かった二人の子どもを残し離婚しました。

それからは、絶望と罪悪感に苛まれ、心身共に打ちのめされたような日々の連続で、諦めの人生でした。

そんな私でも、子どものことは頭から離れず、それが心の支えでした。

その二人の子ども(長男は牧師になり、長女は他教会の牧師夫人として熱心に仕えている)は、

いつも神様の偉大さについて話してくれました。

 

でも、その頃の私には全く理解出来ず、神様の存在など分かるはずもありませんでした。

そうしたある日不思議な出来事が起こりました。

 

それは、私が病で仕事も出来なくなり、再び生きる希望も喜びも失いかけた時のことです。

ひとつの御言葉を目にしました。

それは「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。

わたしがあなたがたを休ませてあげます」マタイ11:28の御言葉です。

 

その時は何の関心もなく、ただ目にしていただけでした。

しかし、それから何故かその御言葉を目にし、耳にする日々が幾日も続きました。

でもそれがどういう意味を持つのか見当もつかず、不思議な感じで子どもにそのことを話しました。

その結果、一度教会に来ることを勧められ、礼拝に参加することにしました。

何度か礼拝に出ることでやっとその意味が、私への神様の導きであり、救いだったことに気付きました。

神様は本当に私のそばにいて、何もかもお見通しなのです。感謝します。

 

それから、色々と心の葛藤もありましたが、子どもや兄弟姉妹、周りの方々の温かい思いやりの言葉、

そして何よりも主の憐れみ深さと、主のご計画に従い、主を信じることにしました。

そして、2006年5月14日、神様と兄弟姉妹の祝福のもとバプテスマを受けました。

今では素直に神様を信じ、悲しみや苦しみの時はいつも祈っている自分がいます。感謝です。

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、

日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(ルカ9:23) 

この御言葉通り、自分の罪を反省し、十字架を負い自己中心から神中心の人生へと、

そして隣人を愛し、平安で喜びの溢れる人生でありたいと願い、祈っていきたいと思います。

そして、まだこの偉大な神様の存在に出会っていない方々に、神様と共に生きる喜びを知って頂き、

救われるように祈っています。

 

H・Mさん(宮崎市在住)

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