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信仰体験談

イエス・キリストとの出逢い  

 

 

私の半生は屈辱と苦痛の連続だった。

私は必然的に卑屈になった。

 

自分を愛してくれない世界に対して、自分に関心を持ってくれるように嘘をつき、

その結果、自らを更なる窮地へと追い込んだ。

小学・中学・高校とその卑屈さ故にいじめにあった。

それでも、大人になればこの苦痛から解放されると思っていた。

しかし、その考えは甘かった。

私の心は次第に破壊され、1週間以上も眠れぬ日々が続いた。

もう、どうにもならない、自分の感情を制御しきれない。

私は救いを求め心療内科に行った。

重度のうつ病と診断され、大量の薬を処方された。

しかし、苦しみは増すばかりで、次第に大量の薬と酒を併用するようになった。

それでも眠れない。苦しく、悲しかった。

心の中からは

「死ね!死ね!お前は生まれて来た事が間違いだった」と、

私を責め立てる声が聞こえてきた。

そして、死のうと思った。

自らの命を絶つのに十分な薬が手元にはあった。

あとは決行するのみ・・・。

その時、以前、自宅のポストに投函されていた

隣町の教会の案内が頭に浮かんできた。

神など信じてはいなかったが、

「最後に、私の苦しみを聞いてもらえたら救われるかもしれない」と思った。

タクシーを呼んで、運転手とともにその教会を探しまくった。

しかし、見つからなかった。

タクシーの運転手は、私にただならぬ何かを感じたのかもしれない。

わざわざ車を降りて通行人に、近くに教会が無いか聞いてくれた。

すると、何とその教会は、タクシーの止まった目の前にあったのだ。

私はその教会の牧師に、今まで秘密にしていた屈辱と苦痛の記憶を全て話した。

その時、私は本当に不思議な体験をした。

教会堂には、自分と牧師以外いないにも関わらず、誰か別の存在を確かに感じたのだ。

視線を上に上げると、十字架が目に映った。

その瞬間、「もう頑張らなくていいから」と、誰かが私の心に語りかけた。

 

涙が止まらなかった。

ボロボロに傷だらけになった私の心はいやされた。不思議にも死への欲求は退けられた。

「すべて、疲れ果てた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(聖書より)

このように言われたイエス・キリストこそ、罪からくる一切の不安、苦痛、悲劇、恐怖から、

人を解放するために、十字架にかかられた真の神だと聖書は教える。

あの時、私の心にそっと語りかけて下さったのは、イエス・キリストご自身だったのだ。

(宮崎市在住 M.Sさん

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